御巣鷹の尾根で慰霊登山 日航機墜落事故から33年
そのとき勤めていた製薬会社の研修のために数日間、
軽井沢に行っていて、
当日の夜に帰宅してテレビをつけたら、大騒ぎという状態でした。
なので、当時のことははっきり覚えています。
当時はすでに医学翻訳で自立すると決めていたので、数日間も医学翻訳の勉強ができないのはきついなーと感じていたと思います。
その製薬会社の安月給では東京で生活することはできず、
身体障害者で、貯金もなく、
医学翻訳で食べていけるのかどうかもまったくわからず、
崖っぷちに立っていました。
ぎりぎりにまで追い込まれると、実力以上の力が出て、何とかなるものです。
このときは能天気な性格が幸いしました。
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