中途半端に終わらなくてよかった
倒れてから2年間たちます。
ICUで伏せていたとき、どうしてこんな病気になったのかいろいろ考えました。30年間の医学翻訳事業と数年間のイートモ作業の無理がたたったか、負荷をかけ過ぎたか、などなど。
30年間の医学翻訳事業の最初の20年間は本当に必死でした。生活がかかっていたので、必死にならざるをえない。活動可能時間の9割は医学翻訳事業に充てていた印象です。睡眠中も訳を考えていた感じ。w
医学翻訳を副業か、小遣い稼ぎか、趣味でやれればいいのですが、相当な地力がある人でないと副業、小遣い稼ぎ、趣味でやれない。最初から2~3割の労力で片手間にやれるほど甘くないのです。全力で数年間活動して、実戦経験が十分に蓄積されて初めて、余裕で小遣い稼ぎできるようになると私の経験から思います。
でも、無理しすぎると私のように痛い目にあうのでご注意。
元々好きで始めた仕事ではなく、完全に生活のため、稼ぐためでした。身体障害のため、他に選択肢はなかった。でも、自分で決められるし、稼ごうと思ったらいくらでも稼げる。自由で、指図されないなのがよかった。文書によっては3日でサラリーマン月給を稼げるから、ヤル気でるよね。もう、安サラリーマンなんてやってられんよ。複数のエージェントを相手にしていた時期もあったので、それはそれは忙しい。
しかし、前述のように、元々医学翻訳なんて好きではないので、残りの10年間は医学翻訳に飽きてしまって、嫌になってしまって、不動産賃貸事業とイートモ作成に徐々に移行したわけです。このフェーズでも実力以上に無理しているかな。そういう性分なんだね。
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